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生麦事件参考館とは

※しばらく閉館していましたが、現在は再開館に向けて週末の指定時間にプレ・オープンをしています。


京急生麦駅:東口から歩いて数分のところにある私設資料館、それが地元生麦生まれの淺海武夫さんによって設立された「生麦事件参考館」である。
10畳程の展示室には、殺害されたリチャードソンの鮮明な遺体写真(オランダライデン大学より)、事件当日のことを記す『関口日記』や『御用留』、未解読の古文書など参考館以外では見ることができない貴重な資料も公開されている。

写真:参考館内部と創立者の淺海武夫さん 提供(上下):タウンニュース

写真:生麦事件参考館の前で、地元学生たちに生麦事件のお話を訊かれ、応える浅海さん生前の姿。


生麦事件参考館には、日本各地から多数の人が訪れ、地元小学校では課外授業にも活用されるなど、永らく親しまれてきた同館であったが、2023(令和5)年淺海さんの逝去により閉館された。
設立のきっかけは、昭和51年46歳の時、鹿児島から生麦事件碑を見学に訪れた人にその場所を教えたところ、後日「生麦事件の碑はあるのに、なぜ地元に資料館がないのか」という手紙が届いたこと。


1976(昭和51)年、淺海武夫さんは「地元の責任として生麦事件の記録を残さなければ」と一念発起し、家業(酒類商)の傍ら事件の研究と関連資料の収集を開始。古書店巡りや国内外の大学・博物館への問合せなどで事件を伝える古文書、錦絵、新聞記事、写真など約600点の資料を収集した。
1994(平成6)年、淺海さんは自宅敷地内に念願の「生麦事件参考館」を開館。自身は早稲田大学で近代史を学び直し、その間には全国数百ヶ所で精力的に講演活動も行なった。

生麦事件参考館リユースプロジェクトとは

生麦事件参考館が閉館された後、再開を求める声が鶴見区内外から多数寄せられた。同館の運営に携わってきた人たちとご遺族や鶴見区役所が話し合い、同館の再開を決めた。その際に区役所から、地域の魅力向上などに貢献する施設整備を助成する横浜市の「まち普請事業」への応募を提案され、それに応えるために有志で「生麦事件参考館リユースプロジェクト」結成の準備を進めた。

2024(令和6)年4月、プロジェクトの第1回打合せ会を開催。自治会・町内会、商店会、企業、学校関係者、諸団体・個人など地域に関わる多様なメンバーが集まり、「歴史でつなぐ多文化共生・多世代交流のまちづくり」を目指して協力・協働して行くことを確認する。
昨年7月、「まち普請事業」第1次審査をプロジェクトは通過したが、本年1月の2次審査では次点という結果に終わった。2月にプロジェクトのまとめを行なうが、そこでは令和7年度に再チャレンジすることが決まった。
現在、史跡散策・資料整理・広報・参考館管理などプロジェクトは小グループに分かれて活動を開始している。5月からは週末に同館を開いて資料を公開する準備も進めている。

生麦事件とは?

1862(文久2)年8月21日、東海道生麦村(鶴見区生麦)で、京都に向かう薩摩藩の島津久光一行が騎馬の英国人4名と遭遇。薩摩藩士は、馬を乗り入れて行列を乱した英国人3名を殺傷。英国側の強硬な抗議で、幕府は翌年5月に賠償金を支払った。薩摩藩との折衝は難航し、7月には薩英戦争が勃発する。軍事力の差を認識した薩摩藩は、11月に賠償金を支払って講和し、以後は英国に急接近していく。
事件当日は欧米人にとっては日曜日で、居留地を出た英国人はピクニック気分で川崎大師に向かう。薩摩藩士には町人や女が馬に乗ることは非常識であり、大名行列に出会えば敬意を表するのが当然の礼儀と考えている。事件は、「攘夷の風潮」や武士の「無礼打ち」特権などに起因するのではなく、このように異なる文化を持つ集団が、生麦村で遭遇して起きた偶発的な出来事であったと言える。 

生麦事件は幕末の歴史の流れを加速し、日本の近代国家成立を促した重要な事件である。同時に、異なる文化とどのように接したらよいのかを考えさせる極めて今日的意義を持つ出来事でもあった。

日本では、単に幕末の開国や討幕運動への引き金になった過去の重要事件として捉えがちだ。しかしグローバル社会化による問題が増える昨今、このカルチャークラッシュによる事件のケーススタディーはUKを代表するオックスフォード大学を始め、欧米に限らず世界各地の著名大学や新しい世代の研究者により、注目、研究が進んでいる。また国際シンクタンクによる東アジア研究:グローバルビジネスに対応したグローバルスタディーズにも取り上げられるなど、重要視されている。そんな世界の潮流に対し、日本での再注目・再評価が訴求されている。

事件が起きた旧生麦村、現在の横浜市鶴見区生麦では、今でも毎年8月21日に慰霊祭が行われ、生麦事件が語り継がれている。


今も辿ることができる「旧東海道」。生麦村は江戸の手前、川崎宿と神奈川宿のちょうど中間地点。風光明媚な浜辺沿いの旧東海道に茶屋が立ち並んだ人気の休憩スポットとして知られた。

江戸時代幕末に島国の海辺の生麦村で、欧米列強と薩摩藩と江戸幕府による歴史的な渦の中で起きた事件。

生麦事件参考館では、旧生麦村の人々の記憶とスピリットを未来へと受け継ぐガイド・講座が行われている(横浜市教育委員会・各校・講演会・イベント・マスメディア・ガイドック・歴史書・ガイドツアーなどで活躍する生麦事件研究家たち)。


古代からの歴史と文化にあふれる鶴見区、人情あふれる「生麦」へようこそ。