2025年、昭和100年を前に、『地球の歩き方 横浜市』に寄稿させていただいた。ブラジルや南米諸国、沖縄の住民とレストラン、イベントなど多文化共生の鶴見区について、そして忘れ去られて行く地域の大切な共有資産である歴史、文化、音楽におけるページを担当させていただいた。横浜市内に限らず、日本史に大きく関わって来た現場、その歴史と価値が、若い世代の人たちに受け継がれ、さらに伝承されて行く事を願って止まない。活動や番組を通じて本書への反響やさまざまな読者の皆様に興味をいただけているのを知り、あらためて身が引き締まる思いだ。かく言う筆者も、90年代の10代に『地球の歩き方』を片手に単身ブラジルへ渡り、世界各地で音楽活動をするようになったひとり。本書に寄稿させていただいたことを振り返ると、さまざまなご縁や運命が重なってと感謝するばかりだ。そして諸外国で社会文化に関わる活動では、自分自身が何者なのか、どんな地域・歴史文化性を持っているのかを常に問われてきた。横浜市に限らず、日本各地を私たちがあらためて再発見していく普遍的な意義はますます訴求されるだろう。今回は、本書に掲載できなかったなかから、日本の歴史の舞台となった鶴見区「花月園」と「生麦事件」のストーリーを少し綴りたい。
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